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本多さん逝く

 日本のPCの発展に大きく寄与した秋葉のオヤジこと、本多さん (本多弘男) が6月6日に亡くなり、昨日11日、遺族の意向で密葬が行われた。ご冥福をお祈りいたします。

晩年の本多さん
2007年5月のESECのVayavya Labsへ応援に来てくれた本多さん。

 享年64歳。晩年は癌を煩い、入退院を繰り返していたが、とうとう永遠の眠りについた。

 氏は本多通商時代の70年後半に、インターシルのファンクションジェネレーターの評価ボードなど、本多キットと呼ばれる、一連の基板のキットなどを販売して、当時のオペアンプなどを勉強するマニアや学生の間で評判となった。

 また、パソコンブームの先駆けとなったワンボードマイコンもいち早く取り上げた。とくに、マイコン雑誌の草分けのI/Oやアスキーは、当時販売網が無かったので、本多通商など、マイコン啓蒙に理解のある一部の店舗を中心に委託販売などで、販売を開始したものだった。

 1980年代はApple ][ コンパチの基板や、周辺機器で秋葉の小さな企業が台湾を含む全世界に輸出したものである。本多さんのベクトリオや、小生率いるパックスエレクトロニカのケガニ、はApple ][ の機能を強化したものだったので、より評判を取った。

 パソコン通信の時代を築いた担い手も、本多さんだったといっても過言でないだろう。当時のKDDのパケット通信サービスのVenus-P を大衆レベルにまで浸透させた貢献は大きい。本多通商が代理をしていた、The Source のサービスを日本から利用するのにX.25のパケット通信サービスの利用が不可欠だったからだ。KDD の官僚的な体質に、民間のフレッシュな営業手法を導入するなど、風穴をあけた形となった。

 1993年にはぷらっとホームを設立、自作パソコンやLinuxのブームを引き起こしたことは記憶に新しい。小生もぷらっとの設立メンバーの一人として、いままでの競合者としてでなく、初めて同じチームとして一緒に仕事をやらせてもらえたのは貴重な経験となり大変感謝している。

 秋葉原と日本のパソコンを語るのに忘れてはならない存在として、本多さんの貢献は後々まで語られるであろう。
 

 

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